勤労の権利・義務(7)

浦部法穂『全訂 憲法学教室』日本評論社ISBN:4535512310)。非常に個性的な教科書。
「通説」へのするどいツッコミが本書を個性的なものにしているのみならず、本書はページのレイアウトまでもが個性的だったりする。引用にあたって、その個性的なレイアウトを再現することはあきらめました……。

本書には「労働権」という項目はあるけれども、勤労の義務についての解説は登場しない。これは憲法にとって義務規定は不可欠とはいえないという主張なんだろうと推測するのだが、この推測は正しいだろうか。

以下の引用にもあるように、著者は「人間にとって『働く』ということは、ただ単に生活費を稼ぐというだけのことに尽きるものではないはずである」とかんがえている。では「働く」ことには具体的にどのような意味や機能といったものがあるのか、わたしはそれが気になったりする。

序の序 21世紀憲法学へのキーワード(略)
序章 憲法というものの考え方(略)
第1章 基本権的人権総論(略)
第2章 精神的自由権(略)
第3章 経済的・社会的人権
序論 経済的自由権社会権(略)
第1節 経済的自由権(略)
第2節 社会権
1 生存権(略)
2 環境権(略)
3 労働権と労働基本権
i 労働権
(1)労働権は、国に対し雇用の保証を要求する権利であり、それが不可能なときには、いわば次善の策として、適職を得るまでの間、相当の生活費の支給を国に対して求める権利である。

憲法27条1項は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」として、国民の労働権を保障する。資本主義経済体制のもとで、生産手段をもたない者(労働者)は、自分の労働力を生産手段の所有者に売ることによってしか生活の手段をもたない。つまり、雇主を見つけ出して労務を提供し、その対価として支給される賃金によって生活していくしかないのである。労働者が生きていくためには、雇用の保障がぜひとも必要となる。しかし、資本主義経済体制は、すべての労働者の雇用を自律的に保障しうる仕組みにはなっておらず、構造的に失業を生み出すこととなる。そこで、労働者の生存を保障するためには、国が積極的に雇用を保障する措置をとることが要請される。憲法における労働権の保障は、こうした要請に基づくものであり、労働権は、いわば生存権を実質的に裏づけるものとしての意味をもつものであるといえる。

したがって、労働権は、なによりも、国に対し雇用の保障を要求する権利として理解される。国は、働く意思と能力がありながらその機会に恵まれない人に対し、現実に就労の機会を保障しうる措置を取らなければならない。そうした措置としては、たとえば、国による職業紹介(「職業安定法」)や職業教育・職業訓練(「職業能力開発促進法」)など、私企業への雇用を国がいわば後押しして保障する制度のほか、国じしんが労働力需要を創出して雇用を保障する失業対策事業などのようなものが考えられ、さらに、一般的な対策としては、完全雇用政策の樹立・実行が要請されよう(「雇用対策法」参照)。

●もっとも、この場合、仕事ならどんな仕事でもいいということにはならないのであって、各人の希望・能力・適性に応じた職業が保障されなければならない。労働権の保障は、当然に職業選択の自由を前提にしたものであり、また意に反する労役が強制されえないこともいうまでもないから(憲法18条)、このことは、当然のことである。国による雇用の保障は、その意味で、労働の質をも配慮したものであることが要請される。

ただ、国による雇用の保障といっても、たとえば企業に対し国が特定の人間を雇えと強制する、というわけにはいかないであろう。また、国じしんが雇うことによって雇用を保障するということも、経済活動の自由を前提にした資本主義経済体制のもとでは、完全には不可能といわざるをえない。だから、国はすべての労働者の雇用を保障しなければならず、そのために前記のようなさまざまな措置を講ずる義務を負っているのであるが、それでもなお、現実には、失業の発生を完全になくすことは難しい。こうした場合には、労働権の保障は、いわば次善の策として、適職を得ることができるまでの間、相当の生活費(具体的には、「健康で文化的な最適限度の生活」を営むことのできる生活費)の支給を国に対して求めるという形で現われるものと解さざるをえない。一般に、労働権とは「国に対して労働の機会の提供を要求しうべく、それが不可能なときには、相当の生活費を要求しうる権利」である(法学協会『註解日本国憲法』p.518)などといわれるのは、このためである。こうした形での労働権保障の具体的な制度としては、たとえば失業保険などがある(「雇用保険法」参照)。

●ただし、人間にとって「働く」ということは、ただ単に生活費を稼ぐというだけのことに尽きるものではないはずであるから、生活費の支給ということは、労働権保障にとっては、あくまでも次善の策とみるべきものであり、本筋は、労働の質を配慮した雇用の保障にある、とすべきである。

(2)使用者の解雇の自由は労働権によって制約されるものと解される。

労働権の保障は、使用者の解雇の自由を制限するものであるのかどうか。この点、かつては、憲法27条は国と国民との関係に関するものであって直接個々の企業と国民との関係を定めたものではないから、労働権の保障ということから使用者の有する解雇の自由が制約されると解すべきではない、とする見解が支配的であった。しかし、こんにちでは、憲法27条は、すでに就労の機会を得ている労働者に対し、その状態を維持する権利をも保障していると解すべきである、として、使用者の解雇の自由は労働権によって制約される(合理的な理由に基づかない解雇は無効である)とする説が有力に主張されている。

労働権の保障は、そもそも、労働市場に自律に委ねておいたのでは構造的に失業が発生するというところから、国がそこへ介入して雇用の保障をはかるというところに、その意味がある。つまり、労働契約を市民法契約自由の原則に完全に委ねることはもはやできない、というのが、労働権保障のそもそもの意味なのである。とすれば、使用者の解雇の自由が労働権によって制約されるのは、むしろあたりまえである。国は、すべての労働者の雇用の保障をはからなければならないのであるから、現に職を得ている労働者については、彼らが不当な解雇を受けないようにするための法制度を整備すべきことが、むしろ義務づけられているというべきなのである。現行法上、使用者の解雇の自由は、労働基準法3条、19条、20条などによって制約を受けているが、これは、憲法における労働権保障の要請に基づくものとみるべきであろう。もちろん、解雇権の制限は、これに尽きるものではなく、およそ合理的理由に基づかない解雇は、労働権保障の観点より、違法とされなければならない(この場合、憲法27条によって違法とされるというか、民法90条によって違法とされるというかは、本質的な問題ではない。→p.69)。
(以下略)
ii 労働基本権(略)
iii 公務員の労働基本権(略)

第4章 人身の自由と適正手続保障(略)
第5章 裁判を受ける権利と裁判所(略)
第6章 平和のうちに生きる権利(略)
第7章 国民主権(略)