「何か支援を利用しようと思っている人はこういった事に気をつけて欲しいと思う。」

助けて欲しかったら黙っていろ(「Dumb」2004-11-08)
http://dumb.s54.xrea.com/impressions/20041108_0642.html

結局は多くの支援者は当事者を利用しているだけなのだ。社会的に排除された人間を見つけそれを口実に社会を批判し、その排除された人間を自分達の味方に付け、自分達の勢力を伸ばして行く。別に彼等が寛容であるわけではない。そもそも彼等は自分達の主義主張に反する人間にはとても不寛容だ。

当事者の声。「自分さえ良ければ良い」という「偽善」を告発する正義感が引用部分だけでなくこのエントリー全体にみなぎっているようにおもう。

この力作エントリーを読んでつぎのような疑問をもった。社会や他人との関係を断ち切ってひきこもっている当事者は「自分さえ良ければ良い」というかんがえかたに汚染されていないのだろうか。当事者だけは「自分さえ良ければ良い」というかんがえかたから自由でいられるのだろうか。

ひょっとしたら「ひきこもり当事者=『自分さえ良ければ良い』とかんがえている者」というまなざしで見ているヒトがいるかもしれない。

僕はこういった連中が社会を悪化させているのではないか、またこれから悪化させるのではないかとても心配だ。

ひょっとしたら「ボクはひきこもりの連中が社会を悪化させているのではないか、またこれから悪化させるのではないかとても心配だ」とかんがえているヒトがいるかもしれない。

──こういった疑問を感じるということは、わたしは「当事者」ではなくて「偽善者」なんだろう。そんなわけで、当事者と支援者の関係にはもうちょっと妥協点というか落としどころがあってもいいんじゃないかしら、というのが「助けて欲しかったら黙っていろ」を読んだ偽善者であるわたしの感想。