社会権と自由権

社会権についての基本知識をおぎなうために、そして上に引用した勤労の権利についてのあっさりした記述をおぎなうために、ふたたび長谷部恭男『憲法 第2版』新世社ISBN:4883840239)から社会権自由権についての記述を引用。

9 社会権
9.1 社会権自由権
9.1.1 社会権自由権の衝突
自由と結果の不平等
社会権,中でも国家に対する積極的給付を求める権利は,人が生きるための最低限の条件をすべての人に平等に保障することを目的とする。この権利は,自由経済の機構から生み出される貧富の格差を是正しようとするものといえる。このように,「結果」における極端な不平等を是正する性格を持つことから,それは自由権,とくに経済的自由権との間に衝突をもたらす。

なぜなら,自由の一つの側面は,不平等な運と資質にめぐまれた諸個人が自己の運と資質とを自分の思うがままに発揮することにあるからである。そのプロセスが結果として不平等をもたらしうることは自明である。結果の不平等をもたらさない自由は,自由の名に値しない。たとえ遺伝子工学が発達して,あらゆる人が全く同じ資質を持つ社会が実現したとしても,偶然が働く余地を無くすことは不可能である。自由の観念を維持し,それが国家権力の無制約な干渉に対する防壁として働く可能性を残そうとするならば,完全な結果の平等を目指すべきではない。

また,資質の際にもかかわらず,あらゆる人が同じ結果しか得られない社会は,能力の開発や自己実現に適した社会とはいえない。そこから生まれる全体としての無気力と停滞とは,資質に恵まれた人だけではなく,恵まれない人にとっても不利益をもたらすであろう。自由は,社会全体の利益を促進する機能をも有している。所得や富の再分配には,人々の労働へのインセンティヴを阻害するリスクがある他,再分配の基準設定や運営のコストが,再配分によって得られる利益の多くを費やしてしまうリスクもある。

司法の役割と社会権
以上のような考察からは,結果の不平等に対するなんらかの是正は必要だとしても,その基準は過度に硬直的であるべきではないとの結論が導かれよう。社会権を,憲法を直接の根拠として司法部門が実現することに慎重な見解は,このような考え方を暗黙の前提としていると考えられる。給付の基準は,当該社会の経済,財政の状況や,他の公共の政策との優劣順位を勘案しつつ,国民を代表する政治部門が第一次的に判断すべき事柄となる。もっとも,後で述べるように(9.2.1),経済的困窮のために人としての尊厳を維持する最低限の条件が満たされないような場合には,裁判所を通じて具体的給付を請求しうると考えるべきである。

9.1.2 積極的権利と司法の消極性
国家に対して積極的な給付を求める権利は,国によってはじめて創設される権利であり,立法府による具体化が権利としての成立に必要であることが,社会権に関する司法消極主義の根拠として挙げられることがある。しかし,この点を強調しすぎるあまり,社会権経済的自由権の共通性を忘れてはならない。

経済的自由権との共通性
財産,契約,不法行為などの観念は,国家がなんらかのルールを定め,それを執行することではじめて成り立つ(8.8.2参照)。民法や商法のルールが存在しないところには,財産権も契約の自由も存在しない。そこに経済的自由と精神的自由との違いがある。経済活動の規制立法に関する最高裁判所違憲判断の先例からわかるとおり,国によってはじめて創設される権利であるか否かは,違憲審査の消極性を導く決め手にはかならずしもならない。また,社会権の具体的実現について予算の制約がある点も,財産権の保障・執行の場合とさほど変わりはないであろう。財産権の収用について補償を与える予算にも制約はあるはずである。

国家により具体化され創設される権利であるという点で,社会権経済的自由権との間に本質的な違いがないとすると,法律によって具体化された給付の権利について,それを剥奪することが憲法違反になりうるという,いわゆる社会権の「自由権的効果」について語ることも,さほど突飛な考え方とはいえないことがわかる。これはいったん法律によって具体化された給付権は,原則として法律によっても剥奪しえない「免除(immunity)」としての性格を持つという考え方である。「財産」や「職業」を奪うことはできないが,「手当」や「補助」であれば自由にとりあげることができるという議論は,厳密な分析に耐えない素朴なイメージに基づくものである。

国家によって創設された権利であることから司法消極主義を正当化する論理には限界がある。もちろん,立法によってあらかじめ具体的な準則が定められていない問題について,裁判所が新たな法理を生み出し,それに基づいて訴訟当事者の権利義務関係を設定することに,裁判所が慎重な態度をとることは理解できる。しかし,すでに立法府によって具体的な原理や準則が設定されている状況において,既存の原理や準則の拡張や類比に基づいて権利の救済をはかることにつき,それが国家によって創設された権利であるからという理由で,消極的な態度をとる根拠は明らかではない。

国民の needs と納税者の負担
国家による積極的給付は,最終的には納税者から徴収される税金によってまかなわれる。このような意味での社会権をどのような条件の下にどの範囲まで認めるかは,したがって一部の国民の生活面や教育面での必要(needs)を納税者全体としてどこまで負担すべきかという問題でもある。税金の使いみちに関する政治部門の決定を,司法審査が社会権を根拠に限定しあるいはくつがえすことが,より公平で信頼して生活できる社会を作ることにつながるか,また日々の短期的な政策考量に基づく政治部門の決定から,より長期的な視点から保障されるべき社会の基本的な価値を守り,よりよい社会を作ることにつながるかが,ここでは問われている。

司法の役割と社会権
社会保障制度の主要な目的の一つが所得の再分配を通じて健康で文化的な最低限度の生活をすべての人に平等に保障することにあるのはたしかであるが,それは唯一の目的ではない。たとえば雇用保険法の定める求職者給付の基本手当や厚生年金保険法の定める老齢高齢年金,障害厚生年金等は,被保険者の従前の報酬に比例して給付されるもので,富者から貧者への所得の再分配をはかるものとはいいがたい。保険料がリスクの応じて計算されるわけでもなく,強制加入制であるから市場ベースの保険として正当化することも難しい。

一つの説明は,これらの制度はありうる保険事故(失業,老齢,障害等)を見越して各人の期待しうる所得を長期的に平準化し,安定されるために設けられているというものである。所得がその時々で急激には変動しないという保証を与えられることで,各人は安んじて人生を設計,構想し,社会生活に参加することができる。各人が長期的なリスクを理性的に計算することの難しさ,人々のリスクの相互依存性,制度設営における規模の利益など,こうした社会保険を強制加入制とすべき理由についてはさまざまな議論がある。

引用が長すぎる……。