勤労の権利・義務(5)

松井茂紀『日本国憲法〈第2版〉』有斐閣ISBN:4641129096)。支配的な「通説」とは異なるアプローチをこころみた教科書。ただしそのようなアプローチの特徴が、以下に引用した27条1項に関連する部分に濃厚にあらわれているわけではありません。

序章 憲法を学ぶ(略)
第1部 総論(略)
第2部 司法審査及び憲法訴訟(略)
第3部 統治の構造
第5章 国民
第1節 国民の地位(略)
第2節 国民(略)
第3節 間接的政治参加権(略)
第4節 政党(略)
第5節 直接的政治参加権(略)
第6節 市民的不服従の権利・抵抗権(略)
第7節 国民の義務
5-7.1 国民の義務
憲法第3章は「国民の権利及び義務」という表題を掲げ,いくつかの憲法上の国民の義務を定めている。一般に,政治共同体の構成員は,その政治共同体の構成員である以上,一定の義務を果たすべきものと考えられる。日本国憲法は,そのような義務として,納税の義務,勤労の義務,教育を受けさせる義務の3つを規定したのである。(以下略)
5-7.2 国民の義務の具体的内容
a 納税の義務(略)
b 勤労の義務
憲法は,「すべて国民は,勤労の権利を有し,義務を負ふ」と定めて,勤労の義務を負うことを明らかにしている(第27条1項)。ただ,国民に強制的に労働をさせることは18条に照らし疑問があるので,一般には働く能力がありながら働くことを拒む人に対して失業給付や生活保護を拒否することが許されるにとどまるとされている(名古屋高判 1997〈平成9〉年8月8日判タ969号146頁参照)。
c 教育を受けさせる権利(略)
第6章 国家と立法権(略)
第7章 内閣と行政権(略)
第8章 裁判所と司法権(略)
第9章 天皇(略)
第10章 地方の政治制度(略)
第4部 国民の権利の保障
第11章 国民の権利の意味(略)
第12章 基本的人権の制約(略)
第13章 平等権(略)
第14章 政治参加権(略)
第15章 政治参加のプロセスに不可欠な諸権利(略)
第16章 政府のプロセスに関わる諸権利(略)
第17章 非プロセス的権利
第1節 家族(略)
第2節 生存権(略)
第3節 教育を受ける権利(略)
第4節 勤労の権利及び勤労者の権利
17-4.1 趣旨
憲法は,その27条1項で「すべて国民は,勤労の権利を有し,義務を負ふ」と定めて,勤労の権利を保障するとともに,2項で「賃金,就業時間,休息その他の勤労条件に関する基準は,法律でこれを定める」と規定する。そして,3項で,「児童は,これを酷使してはならない」と定めている。さらに憲法は,28条で「勤労者の団結する権利及び団体交渉そのほかの団体行動をする権利は,これを保障する」と定めて,勤労者の基本的人権(いわゆる労働基本権)を保障している。

このような権利は,フランス人権宣言でも,アメリカ合衆国憲法でも定められてはいない,既に述べたように近代個人主義の考え方では,契約の自由が支配し,個人の生存は個人の自己責任であり,勤労を権利として保障するとか,勤労者の団結権などの基本的人権を特に保障しようという考えはなかった。しかも,アメリカでは団結権は結社の自由として一定の憲法的保護を与えられてきたが,フランスでは労働組合に対して否定的な態度がとられてきた。フランスでは,中間団体を解体するフランス型個人主義の伝統の下,結社の自由が認められなかったのであった。

では,日本国憲法は,なぜこのような権利を憲法的に保障しなければならなかったのであろうか。明らかに,そこには戦前の労働運動の弾圧の歴史がある。そして,労働運動が日本の経済の民主化に必要と判断されたことも,その理由の一端であろう。

17-4.2 勤労の権利
a 趣旨
先に述べたように,勤労の権利といった権利は,近代人権宣言には含まれてはいなかった。このような権利を初めて憲法的に認めたのは,ワイマール憲法であった。同憲法は,「各ドイツ人民に,経済的労働によってその生活の糧を得る可能性が与えられるべきである。適当な労働の機会が証明しえない者は,その限度において,その者に必要な成果tのための配慮がなされる。詳細は,特別のライヒの法律によってこれを定める」と規定したのである(163条1項)。日本国憲法は,このようなワイマール憲法の規定を継承したものと考えられている。

b 勤労の権利の内容
27条1項の勤労の権利の内容については,一般に,私企業に働く機会を得ることを保障すること,それが不可能な場合には国に対して労働の機会の提供を求める権利を意味すると考えられている。しかし,一般に資本主義社会においては完全雇用は不可能であるがゆえに,実際に仕事を与えられることを国に要求することはできないと考えられている。従って,勤労の権利は,実際には労働の機会が与えられなかった場合に相当な生活費の保障を要求しうる権利として理解されている。そのため,通説は,勤労の権利を自由権とは区別された社会権と位置づけているのである。

*なお,働くことを妨げられない権利,そしてその反面としての働かない自由ないし働くことを強制されない自由,つまり勤労の自由については,これを27条の権利と考えるか,それとも22条の職業選択の自由と考えるか争いがある。一般的には働く自由は22条の職業選択の自由と考えるべきであり,27条の問題ではないと考えるべきであろう。ただし,強制的に労働させることは,18条で禁止された「その意に反する苦役」にあたり許されないと考えられる(⇒14-3.3)。

c 勤労の権利の権利性
通説的な立場では,勤労の権利の具体的権利性は否定される。つまり,失業している人が27条1項を根拠に,私企業または国によって仕事が与えられることを求めて裁判所に訴訟を提起することまでは認められない。ただし,国の不作為に対する救済は不可能としつつも,法律の改廃による勤労の権利の侵害については違憲として争うことができるとする見解もある。さらに,国が必要な措置を講じない場合には,不作為の違憲確認を求めて出訴できるという見解もないではない。勤労の権利はそもそも資本主義社会を前提とする権利であり,資本主義経済体制であることは権利性を否定する根拠とはならないし,権利の内容は不確定ではないというのである。

同様に,通説的な立場では,労働の機会が与えられなかったときの相当な生活費保障を求める権利の具体的権利性も否定されている。失業している人が,法律の下で失業手当が受給できない場合に,27条1項を根拠に相当な額の失業手当の支給を求めて裁判所に訴訟を提起することは認められないのである。

やはり27条1項を根拠に仕事や生活費を求めて訴えを起こすことまで認めることは,無理だと思われる。その意味でこの権利も抽象的権利にとどまるというべきであろう。失業して生活が困難な場合,最終的には,生活保護の形で問題とするほかあるまい。

*なお,27条が私人間にも適用されるかについて,学説の中では私人間への直接適用を認める声が有力である。この考え方によれば,私企業における正当な理由のない解雇は27条違反となりうることになる。間接適用を認める立場では,27条が市民法としての解雇権濫用の法理の展開に影響することになる(最2小判1975〈昭和50〉年4月25日民集29巻4号456頁)。しかし,既に見たように,27条も政府に向けられた規定であり,政府に対し勤労する機会を与えるように要求し,それが実現されない場合の補償を求める権利を保障したものと考えるべきであり,私人の行為を拘束するものと考えるべきではあるまい(⇒11-5.5c)。

d 勤労の義務
27条1項は,勤労の権利を定めると同時に,勤労の義務を定めている。これについては既に触れた(⇒5-7.2b)。

e 労働条件の法定(略)
f 児童の酷使の禁止(略)
17-4.3 勤労者の権利(略)

第5節 財産権と経済活動の自由(略)
第6節 明文根拠を欠く非プロセス的権利 (略)