病気なんでしょうか。〈甘え〉なんでしょうか。

熊木徹夫『精神科医になる』中公新書1749(ISBN:4121017498)より。

疾患とは、患者の言動のうち異常であり、かつ患者個人の意志では統御不能だと、精神科医が見なしたものとでも言えようか。それに対し患者の〈甘え〉とは、患者の異常な言動のうち、精神科医が専門的援助を施さなくとも患者の自助努力でなんとかできると、精神科医によって見なされたものである。すなわち、〈甘え〉とは疾患とは見なせない異常な行動の別名である。(中略)

〈甘え〉の客観的指標があるわけでもない。精神科医が患者の言動に同調できず、患者に対して陰性感情をもつにいたった時、患者の中に〈甘え〉があるとされるのである。

疾患の有無が精神の専門家としての了解に裏打ちされているのに対し、〈甘え〉の有無は一般常識人としての感情的同調に裏打ちされているといえる。精神科医にとって、疾患は治されるべきものであるのに対し、〈甘え〉はしつけられるべきものであり、元来疾患とは無関係である。しかし、精神科医が〈甘え〉という言葉を発したとたんに、この言葉は疾患という言葉同様〈精神医学化〉される。言葉の〈精神医学化〉とは、医師が患者の行動を精神医学的に説明する際に使用できるよう、言葉を加工することである。それにより、疾患と〈甘え〉は同列に配して比較できるようになってしまう。(107、108ページ)

精神科医が疾患や〈甘え〉という言葉を〈精神医学化〉することは、医学的なパターナリズムに裏打ちされた行ない」(110ページ)であると著者はいう。だから、不登校生徒の母親が医師に投げかける「先生、この子は病気なんでしょうか。それとも〈甘え〉なんでしょうか」(106ページ)という質問は、疾患と〈甘え〉を同列に配して比較している点で無意識のうちに医学的なパターナリズムを支持していることになる。「反パターナリズムは、このような比較自体を否定する」(111ページ)とのこと。

〈甘え〉に関連して、嗜癖と精神療法/薬物療法について。

精神科医全般では、嗜癖者を治療対象と考えるかどうかが、精神科医を二分する分水嶺となっている様子である。すなわち、嗜癖サイクルの形成のおおもとである陶酔を疾患の表現ととるか、〈甘え〉の表現ととるかということである。一般に、〈甘え〉の度合いが大きいと見なされた患者に対しては精神療法、反対に〈甘え〉の度合いが小さいと見なされた患者に対しては薬物療法が中心に用いられる、といえよう。(116ページ)

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