「少し人間以上のことをしなければならない者」

昨晩でしょうか、わたしはid:matuwa:20040528#c で「『峠の茶屋通信』を拝見して、援助者は『人間の身でありながら、少し人間以上のことをしなければならない者』という印象をもつ」と書きました。この文中にある「人間の身でありながら……」という表現は、中井久夫山口直彦『看護のための精神医学』医学書院(ISBN:4260331167)からの引用だったのですが引用元を明記してませんでした。そこで、ここに引用元を明記しておくとともに、原文も引用しておきます(強調は引用者)。

牧師,僧侶,法律家,医者,看護者など,人間の身でありながら,少し人間以上のことをしなければならない者は,とくに精神衛生に気をつける必要がある。傲慢な人になるかもしれない。そのツケが,家族にあらわれるかもしれない。同僚や周囲の人々に精神的に支えられて,はじめて治療ができているのだといわれるが,ほんとうである。

一般に「正義われにあり」とか「自分こそ」という気がするときは,一歩下がって考えなおしてみてからでも遅くない。そういうときには視野の幅が狭くなっていることが多い。ここから孤立しがちになる。

このようなことが問題になるのは,風邪のように,あまりこちらのこころが巻き込まれずにすむ病気が精神科には少ないからである。精神科治療者の先祖は,手軽な治療師でない。シャーマンなど,重い病気にいのちがけで立ち向かった古代の精神治療者である。(8ページ)

わたしが「人間の身でありながら……」を引いたのは、「峠の茶屋通信はしばらくおやすみします。」という言葉にひきこもり当事者を援助する大変さのようなものを感じたからでした。