森田療法(あるいは岩井療法?)

岩井寛『森田療法講談社現代新書824(ISBN:4061488244

この本は、おおくの読者に名著として受け入れられている。それには、ふたつの理由があるとおもう。

第一に、タイトルどおり本書が「森田療法」についてのわかりやすい解説書になっている点。ただし、本書で展開されているのは、著者である岩井寛による森田療法論というべきものである。

岩井は、森田療法の中核は「生の欲望」と「あるがまま」にあると考えているようだ。

たとえば対人恐怖の症状をもつ人ならば、自分の赤面や、人に見られるときの違和感や、顔の醜さ、その他にこだわりをもち、できることなら人を避けて会わないでいたいと考えるであろう。その一方で、彼には「生の欲望」があり、人と交わってより豊かに生活をし、自己実現をしていきたいという欲望も存在する。神経質(症)者(日常人も同じなのだが)は、この相反する二面性に常に悩まされている。

しかし、ここで「生の欲望」を大事にしていくためには、不安・葛藤があっても、症状が存在しても、人と交わり、自己実現をしていかねばならない。その場合に、もし症状を否定しようとするならば、現実に背を向けて逃避をせざるを得ないのである。だが「生の欲望」を正しく維持しようとするのなら、逃避したいという一方の欲望(症状)をそのままにしておき、もう一方のよりよき自己実現をしたいという欲望に従った行動をとっていくことであろう。つまりこれが「あるがまま」である。(『森田療法』148ページ)

岩井の森田療法論をまとめると、つぎのようになる。

  • 人間には(1)逃避したいという欲望と(2)自己実現したいという欲望(=生の欲望)の両方がある。
  • 神経質(症)者のように(1)の欲望を取り除こうとすると、それが逆効果となって症状としてあらわれてしまう。
  • だから(1)の欲望を除去せずに、それを「あるがまま」に認めてしまおう。
  • そして(1)の逃避したいという欲望を「あるがまま」に認めたうえで、(2)の自己実現の欲望を生かそう。

このわかりやすさが、岩井流森田療法の特徴ではないかとおもう。

本書が名著として受け入れられている第二の理由として、本書の特殊な成立事情がある。本書はガンで亡くなった岩井寛の最後の著書であり、全身に転移したガンのため目が見えず手もほとんど動かすことができなかった著者の口述筆記によって書かれたものだという点である。

岩井寛の死の直前までの口述内容を記録した、岩井寛[口述]・松岡正剛[構成]『生と死の境界線:[最後の自由]を生きる』講談社ISBN:4062034506)のなかで、松岡正剛は岩井寛についてつぎのように回想している。

岩井先生を知る者は、誰もがその強い意志力を讃える。私も十五年間ほどのつきあいであるが、多くの人からそのような声を聞いてきた。またその強さに惹かれもした。けれどもその一方、私が先生に惹かれてきたもっとも大きな理由は、弱さに対する理解にあったようにおもわれる。(『生と死の境界線』52ページ)

森田療法』を読めば、たしかに岩井寛が「強い意志力」と「弱さに対する理解」をあわせもった人間だったことがよくわかる。死の直前まで口述筆記をしていた「強い意志力」はもちろん、弱さを「あるがまま」にして「生の欲望」を強い意志力で生かすという岩井流森田療法にもその人間性があらわれている。