「高い要求と低い期待のギャップ」から「現実的目標」へ

磯貝芳郎・福島脩美『自己抑制と自己実現:がまんの心理学』講談社現代新書843(ISBN:4061488430)から引用。

米国の人格心理学者ロターは、高い要求(目標)と、それを実現するための行動の自由度(期待)とのギャップに注目している。たとえば、愛されたい要求が強いが愛されるに必要な行動を遂行できる期待が低い、あるいは認められたいが認められるための行動が期待できない、といった事態である。このような要求と行動自由度とのギャップの事態では、二つの異なるタイプの我慢が喚起されよう。一つは、行動の自由度の低さに合わせて要求を控える我慢であり、そのメカニズムは先の学習された絶望感〔引用者注:「学習された絶望感」とは、いわゆる「学習性無気力」「学習性無力感」のこと〕に近似している。そしてもう一つの我慢が、要求に見合うように行動の自由度を高めるための我慢である。愛されたい要求も認められたい要求も放棄しないで、その目標を実現すべく、積極的に対策を立てるために我慢するのである。それは目標のある積極的な我慢と言える。(205-206ページ)

ひきこもりにも「行動の自由度の低さに合わせて要求を控える我慢」というタイプがありそうです。

それでは、もうひとつの我慢である「要求に見合うように行動の自由度を高めるための我慢」を身につけるためには?

ロターによれば、人間は目標に向かって進んでいるという期待によって動機づけられているのであって、だから目標に近づき得るという期待こそが努力を強化する、と考えれる。それゆえ、現実的目標へ向けて建設的な努力の手段を講じ、低い行動自由度(すなわち低い期待)を改善すること、そのために高い要求を一時抑えて、一歩一歩努力を積み重ねていく、持久の我慢をすることが必要になろう。(206ページ)

「現実的目標」がキーワードでしょうか。このような合理的思考ができるのであれば、問題にならないだろうという気もしますが……。ところで、ロターとは何者?

以下、我慢づよくなるためにメモ。

  • 言葉を口に出す

口にできない感情をコントロールするよりは、感情を口に出してコントロールすることのほうが容易である。(56)

  • 安心の中に不安を埋め込む

大きな満足や安心をその状況の中につくれるなら、そして不快や苦痛はごく少しずつ強めていくことができるのであれば、人は、大きな安心によって不安を薄めていくことができる。つまり安心の中に不安を埋め込んでいくことができるのである。
我慢という言葉を使うなら、大きな安心や快の気分によって、人は小さい不安と苦痛を少しずつ我慢することができるようになり、そういう我慢に成功する経験によって、強い心、ノイローゼになりにくい心を育てていくことができる。健康な心は、実はそのようにして、生育史の中で、不安と緊張を乗り越えることによって育ってきたのであろう。(114、115)

  • 「とりあえず」下位目標を置く

我慢のつらさと困難さを決定する要因の中で、特に重要と思えるのは、第一に、状況の好転の見通しが立てられるかどうかである。「もうじき頂上に着ける」「この調子でいけば、三〜四時間も頑張れば何とかなるだろう」「この先にはもう二つほど難所があって、その後はぐっと楽に行けるだろう」などの長い展望を持つことによって、我慢がしやすくなる。つまり我慢の先に、我慢克服の可能性の予期が弱く低いままなのか、それとも可能性の予感が高く強くなるかどうかによって、我慢できる度合いが決定されよう。(中略)
第二は、理想(目標)と現実(現状)との距離の遠さ、そして両者の間を結ぶ下位目標の置き方に関係している。遠い目標を思うとき、人々はそこに到る苦労を思い、可能性の予期が低下するのを感じる。すると、我慢して努力する意欲を失う。そこで人々は、遠い目標に到る道程にいくつかの下位目標を置くことによって、現状から理想までの過程を具体的なものにしている。「とりあえず、あれをあそこまで」が、人を我慢強くしている。(144、145)

  • 我慢を分解し段階づける

我慢が複合的であるとすれば、一つ一つの我慢を小さく分別してみることが大切である。軽く我慢できる小さな我慢もあろうし、これだけは我慢ならないという重大な我慢もあろう。このように、我慢の内容に大まかな順序をつけて配列してみると、自分がどこまでなら耐え得るかのレベルも分かってくるだろう。(153)

  • まずは簡単なことから

大きな我慢は多数の小さな我慢の複合したものだとすれば、まず、それらの中で単純で軽度のものから、少しずつ我慢の苦痛といらだとを和らげていくことができるはずである。ちょうど高所恐怖の改善を、階段の一段に対する恐怖を解くことから始めるように、(中略)ごく小さな事柄から始めて、少しずつ対象を広げていくことができよう。何もかもどうにもならぬと決めてっかっては、事態は少しも解決しない。(中略)一つの目標の次には第二の目標に進み、こうして一歩一歩我慢の苦痛を和らげ、こだわりを解いていくことが、我慢の苦痛を拮抗制止する有効な道となるだろう。
なお気分転換には、当座の我慢から注意をそらして、こだわりをほぐして物事を新しい視点から見直すという、大切な効果のあることを指摘しておきたい。(153、154)

  • あれがだめならこの手で

我慢は、一種の解決すべき課題をかかえた状況であるから、解決の方略を多様に持っていて、あれがだめならこの手で、という具合に柔軟に方略を選び、切り換えられるならば、我慢の状況への対処の能力は高いと言える。
したがって、我慢強くなる道の一つは、できるだけたくさんの我慢対処方略を学んで、その状況から快適な結果を引き出すように努めることである。(197)