『アイデン&ティティ』

みうらじゅんアイデン&ティティ:24歳/27歳』角川文庫、ISBN:4043434014

成長や成熟がテーマかと。ただし最初にことわっておきますが、映画のほうは見てません。

中島はバイトしながらバンド活動をつづけている。たとえバンド・ブームがおわっても「みんながやらなくなった時こそロックの意味があるわけでー/ロックの本来の姿/アンチの精神が/生きる時なんだよ!!」なんて言いながらバンド活動をつづけている。けれども、やっぱりそんな状況に不安も感じるわけで「セックスをしている間だけは、何か分からないが不安を忘れる事が出来る」からという理由でファンの女性と性的関係をもつ。

中島は幼稚な万能感の持ち主である。不安を感じながらも、周囲が思いどおりになるという万能感を抱いているからこそ、バンド活動がつづけられるのだ。また「今の気持ちを歌う事がオレはロックだと思う!!/大人を…困らせたいんだ」という言葉にも幼稚な万能感があらわれている。中島とボブ・ディランやジョン&ヨーコの対話も、かれの万能感がうみだしたファンタジーとして解釈できそうだ。

そのような中島の万能感は、かれの彼女によってささえられている。この彼女、自分で「君は私をマザーだと思ってるでしょ……」と言ってるように、中島にとってマザーという母性的な役割をはたしている。中島は自分がダメな人間だと感じており、自信がもてない。だからかれの万能感をささえる自己愛は脆弱で、どうしても他者の賞賛に依存しようとする。そんなときマザーは「不安なの?誰もいなくなっても私だけは味方なのに…ね」といった言葉をささやく。マザーに依存しながら脆弱な自己愛をまもる幼稚な中島クン……。

……こんなツライお話でおわってしまうことなく、みうらじゅんは読者の男の子の夢をかなえてくれる。中島はすこしずつだけど本当の「ロック」にちかづいていく(ように見えるだけなのかもしれないけれど)。しかしながら成長していくためには中島はマザーへの依存をやめなければならない。そこでこのマンガでは、中島の彼女は絵の勉強をするために突然アメリカへ留学してしまう。これは精神分析用語でいうところのエディプス・コンプレックスを戯画化した物語なのかもしれない。

中島はバイトしながらバンド活動をつづけている。こういう人間のことを、ふつうはひきこもりとは呼ばない。しかしかれの脆弱な自己愛にまもられた万能感は、ひきこもり当事者にもみられるものだ。また中島とマザーの関係についても、それをひきこもり当事者と母親の関係として読みかえることができる。わたしは中島にはひきこもりと共通する精神があるようにおもう。「ひきこもりスペクトラム」のなかで比較的よく社会適応できているポジション、そこに中島を位置づけてもかまわないのではないか。そんなことをかんがえる。

中島には「ロック」という欲望があった。そしてその欲望をすこしずつ実現していくために、すこしずつ成長した。成長過程でかれの幼稚な万能感は創作の源として幸運にも生かされたといえるだろう。中島はライブの観客に向かって、つぎのように言っている。

みんなの心の中にもきっと住んでいるロックはこう言うだろう
”やれる事をやるんだよ/だからうまく出来るのさ”って

「やれる事をやる」──やっぱりこれが大切なのかしら。