ひきこもりスペクトラム

自閉症スペクトラムという概念があります。厳密な定義は専門書を調べないといけませんが、自閉症の症状を連続体としてとらえる考え方だとわたしは理解しています。自閉症の症状はさまざまで「ここからが自閉症です」と明確に線引きできるものではない。だから自閉症の症状を連続体としてとらえ、障害の重い軽いにかかわらずおなじような観点から症状に対応していこうということです。

見た目としての症状はちがっていても、それは連続していて、そこには共通の要素がある。この発想が自閉症スペクトラムという概念の出発点になっているように感じます。

ここから、ひきこもりの話になります。ひとくちに「ひきこもり」と言っても、当事者の状況はさまざまです。しかしそのさまざまなひきこもり状況を連続体としてとらえ、ひきこもりの当事者や状況になにか共通要素があると仮定してみることが、当事者にとってメリットになるのかもしれない……。そんなことを表現しようとおもったとき、とりあえず「ひきこもりスペクトラム」という言葉をかんがえてみたわけです。

ひきこもりに共通する要素はあるのか? わたしがひきこもり当事者があつまるグループに参加して最初におどろいたのは、ひきこもりといってもいろんなひとがいること。最初の自己紹介・近況報告以外はずっと無言のひと、近況報告もパスして無言をつらぬこうとするひと、床に寝ころがっているひと、サブカルチャーにくわしいひと、夜のお仕事をしていたひと、などなど。すくなくとも見た目には多種多様としか言いようがなく、わたしはかるい衝撃をうけました。

そのグループでは、まずスタッフと何度か面接をおこない、面接のなかでグループについての説明をきく。そして本人の意思を確認してからグループへの見学・参加という段取りになってました。ということは、見た目には多種多様であっても、みんなスタッフとの面接を経てからグループに参加しているわけで、各人はどこか「ひきこもり」というカテゴリーに当てはまるような当事者性をかかえているとグループのスタッフは判断していたことになります。

このようなグループの体験談からわたしが言いたいことは、見た目としてはさまざまな「ひきこもり」の共通要素がどんなものであるか、それを実践知としてひきこもり支援者は身につけているのかもしれない、ということです。

……と、さりげなく当事者性をアピールしてみるテスト。