『ひきこもりと不登校』

関口宏『ひきこもりと不登校:こころの井戸を掘るとき』講談社+α新書ISBN:4062722283

彼ら〔=ひきこもりの人たち〕を変えようとすることばかりを考えるのではなく、とても回り道ではありますが、いま私たちの社会の側が変わっていくことが求められているのかもしれません(27ページ)

これが著者の立場。これまで共同体の慣習にしたがって決定されてきたこと(思春期における自立、社会での役割、結婚相手の選択など)が、現代社会では個人の選択によって解決されるべき問題へと変化している。そのような社会のなかで自分自身の内面をさぐっていく孤独な作業をするひとたちがいる。その作業がひきこもりであり、これは「自殺を考えるほどの苦しい作業」である。しかし、とことん悩んで苦しむというこの孤独な作業を経験しないかぎり、自分でやりたいことをみつけて自立することもできない。──とりあえず、本書の内容をこのようにまとめてみた。

どうして自分自身の内面をさぐることが死にたいほど苦しい作業なのだろう。ひきこもってしまうと、「これがやりたい」という欲望が自分自身の内面をいくらさがしても全然みつからないことがある。なにか行動をするときの指針になるような目的や目標がみつからないのはもちろん、食欲・睡眠欲・性欲といった欲望でさえ積極的な意味を実感できなくなってくる。ひきこもりの場合だとそういう苦しさに直面することがあるけれど、著者のいう「苦しい作業」がこういう意味なのかはわからない……(ひきこもりや不登校の当事者だけにかぎらず、誰でも自分の内面をさぐるときには苦しさをともなうから)。なにはともあれ、ひきこもり当事者は欲望や目標が希薄になりがちで、そのために自分がやりたいことや好きなことをみつけるのは困難なことがおおい。

書名サブタイトルの「井戸を掘る」から水つながりで連想したのが、佐伯敏光『水を運ぶ子どもたち:不登校が問いかけるもの』編集工房ノアISBN:4892711039。ひきこもりや不登校の当事者は、かわいた現代社会に「水」をはこぶという使命をあたえらた選ばれし者かもしれない。──こういう呼びかけに無条件で飛びつきたくなったとき、自分のこころのなかにある自己愛(ナルシシズム)を点検するのは健康的なことだとおもう。

著者の関口氏が代表をつとめる「文庫こころとからだの相談室」のURLは http://www7.plala.or.jp/bunko/