休息だけでは心的エネルギーは回復しない

笠原嘉『アパシー・シンドローム岩波現代文庫ISBN:4006000952

境界例というほど重くなくてもアパシー患者全般について「二つの自分」という概念(ないしはイメージ)の共有によって了解の度合を深めることは有用と思う。今少しいえば、それによって、もう一つの、下位の「退行的な自分」を視野の中におさめ、それにしかるべき位置を与えるという意義もあろうかと思う。なぜなら退行的な自分は創造的なエネルギーの貯留所でもあるのだから、決して切り捨てないで、むしろ大事に包摂していくように促すという意味合いもそこに含まれているからである。うつ病とちがって休息だけでは心的エネルギーは回復しない。加うるに、新たな内なるエネルギーの開発が不可欠である。(「無気力からの復路のために」342ページ)

本書でいちばん印象にのこっているのは、引用にもある「うつ病とちがって休息だけでは心的エネルギーは回復しない」という一文。アパシーの場合だと本当にそうだよなあと、はげしく同意したのでした。

ひきこもりに理解をしめすヒトが当事者に対して「疲れたときは、休めばいいんだよ」といった言葉をかけることがある。そんな言葉を見たり聞いたりしたとき、「ひょっとしたら、このヒトは休息をとれば当事者がすぐに元気になると思っているのではないだろうか?」とちょっとだけわたしは不安になる。

厚生労働省などは「ひきこもり」状態を「6 ヶ月以上自宅にひきこもって……」と定義している。この定義はつぎのように言いかえることができるかもしれない。「ひきこもり」という状態は 6 ヶ月の「休息」だけで抜け出せるようなものではないのだ、と。

しかし話はそれほど単純ではなさそう。なぜなら「ひきこもり」と名づけられたり「ひきこもり」を自称する当事者のなかには、休息だけで元気になる「うつ病」タイプも含まれているとかんがえるのが妥当だとおもうので。

うつ病」タイプの当事者よりも、わたしが気になるのはるのは「休息だけでは心的エネルギーは回復しない」タイプの当事者だったりする。これは、おそらく自分自身が休息だけでは回復しないタイプの人間だからなんだとおもう。

で、そんなタイプの人間のひとりとして「休息だけでは心的エネルギーは回復しない」のであれば、どのように心的エネルギーを開発すればよいのだろうかとかんがえたりする。理屈っぽくかんがえると、「内発的な動機」と「外部からの圧力」のバランスがうまくとれたときに心的エネルギーが開発されるというか「前に進む」ことができるというか……そんな気はしている。

しかし「外部からの圧力」というのは議論するのがむずかしいテーマだろうなあ。過去の登校拒否・不登校にまつわる「登校刺激」の是非をめぐる議論をみても、現在の「引き出し屋」といった言葉のつかわれかたをみてもむずかしいテーマだと感じる。そんなわけで(以下略