ひきこもりスペクトラム・最終章

まさか連載になるとは想像してなかった……。偽ヒキ問題の回避なんてことを言ったものの、ひきこもり業界へ提言する気はあまりなかったりします。ひきこもり界隈の人たちのことよりも、本当はひきこもりとしての自分について考えたかったのだ、そんな気がします。

ひきこもりの共通要素。これは当事者Aと当事者Bの共通性のような集団レベルの共通要素だけではありません。そのような集団レベルだけでなく、現在の自分と未来の自分という個人レベルでも共通性を想定することができます。

たとえ元ひきこもりと呼べるような生活をおくることになっても、わたしの心のなかにある「ひきこもり気質」がなくなることはないだろう。これからもずっと自分自身の「ひきこもり気質」と折り合いをつけながら生きていくことになるだろう。ひきこもりから抜け出すとは、まったく新しい自分に生まれ変わるということではなくて、どこかで過去のひきこもっていた自分と連続している。──こんなふうに考えています。

ひきこもり連続体の上を、社会への適応度の低いところや高いところを行ったり来たりしながら生きていく、そんな人生……。このひきこもり連続体のことを「ひきこもりスペクトラム」と表現してみたのでした。

「社会的ひきこもり」はいろんなひきこもり状態を含むことができる便利な用語としてつかわれています。しかしこの用語では社会への適応という観点からみたひきこもり状況の変化が捉えられない。そこで社会適応度の順にならんだスペクトルという概念を導入して「ひきこもりスペクトラム」と表現したのでした。けれども、これだといわゆる「階層性」のお話とのちがいがハッキリしない気がしますね。ムツカシイ。